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<地方都市の概要>
島原市(しまばらし)は、長崎県南東部の島原半島にある市。島原半島の中心都市。
島原城や武家屋敷など旧城下町の街並みが残り、市内に湧水群のある観光都市である。
有明海を介して、フェリーで30分で結ばれている対岸の熊本市や、大牟田市などとの関係も深い。
江戸時代初期の1618年(元和4年)から7年の歳月をかけ松倉重政が島原城を築城し、
以後は島原藩の城下町として栄えた。
しかし松倉家はキリシタン弾圧をはじめとする悪政を続け、1637年(寛永14年)に島原の乱が起こる。
これにより住民はほとんど死亡し、代わって藩を統治した高力忠房の移住政策により復興していくことになる。
半島の中央部にある雲仙普賢岳は大噴火を繰り返す活火山として有名である。
1792年(寛政4年)には島原大変肥後迷惑と呼ばれる日本史上最悪の噴火災害が起こり
現在の島原市域に大打撃を与え、1万5千人以上の死者が発生している。
また最近では1990年(平成2年)11月17日から普賢岳が噴火。
翌1991年6月3日には火砕流が発生し、報道関係者や世界的に有名な
火山学者クラフト夫妻など43人が亡くなった。
1996年6月3日に火山活動の終息が宣言され、
それ以降は現在まで復興へ向けた取り組みが続けられている。
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■島原の乱■
島原の乱(しまばらのらん)は、江戸時代初期に起こった日本の歴史上最も大規模な一揆による反乱であり、
幕末の動乱に至るまでの最後の本格的な内戦であった。
島原・天草一揆とも呼ばれる。宗教戦争と見なすのが一般的だが、それはこの内戦の一面しか見ていない。
この乱は一般に寛永14年10月25日(1637年12月11日)勃発〜寛永15年2月28日(1638年4月12日)終結とされている。
松倉勝家が領する島原藩のある肥前島原半島と、
寺沢堅高が領する唐津藩の飛地である肥後天草諸島の農民をはじめとする諸領民が、
百姓の酷使や過重な年貢負担に窮し、さらに飢饉の被害も加わり、両藩に対して反乱を起こした乱である。
キリシタン(カトリック信徒)の宗教戦争と殉教物語として語られることも多いが、あくまで一面でしかない。
なお、ここでの百姓とは百姓身分のことであり、貧窮零細農民だけではなく、
隷属民を擁した農業、漁業、手工業、商業など諸産業の大規模経営者をも包括した身分であり、
さらに一揆には有馬・小西両氏の浪人、更に元来の土着領主天草氏、志岐氏の与党などが加わっていたことからも、
一般的な「鍬と竹槍、むしろ旗」というイメージは正確ではない。
島原は元はキリシタン大名である有馬晴信の所領であり、領民のキリスト教への信仰も盛んな土地であった。
豊臣秀吉や徳川政権の時代に禁教政策がはじまると、慶長19年(1614年)有馬氏は転封となり、
代わって大和五条から松倉重政が入部する。
重政は徳川家臣団の中での地位の向上を図り、江戸城改築の公儀普請役や彼が独自に計画したルソン遠征、
さらには壮大な島原城の新築のための過重な年貢の取立てに加えて、厳しいキリシタン弾圧を始める。
その弾圧の残酷さは反カトリックであったオランダ人すら辟易させるものであった。
次代の松倉勝家も重政の圧政を継承し、さらに過酷な取立てを行った。
天草も島原同様キリシタン大名小西行長の土地で、関ヶ原の戦いの後に寺沢広高が入部し、
次代の寺沢堅高の時代まで島原同様の圧政とキリシタン弾圧を行う。